人の為

人の為人の為とよく言うものだが、人の為ってどういう事なのだろうか。

 

人の為と言って何か行動することが悪いことだとは思わない。

''人の為''と気を遣って率先して行動をするのだ。

簡単なことではない。

尊敬する。

 

ただ、人の為と書いて別の漢字に置き換えられるのだが分かるだろうか。

そう、''偽''だ。

偽善という言葉が存在するように、誰かの為にと思ってやっている行動も本当は偽善の行動なのかもしれない。

 

ただ、某有名掲示板〇chではこうも言ってた。

''やらない善よりやる偽善''

言い得て妙だ。

例えそれが偽善であったとしても、やることに意味があるのだ。

 

真実は人それぞれあれど事実は常に1つ。

世の中起きた結果が全てなのだ。

やるまでの過程なんて重要なことではないのだ。

真実が偽善であったとしても。

 

結局のところ僕が言いたいことは

人の為という想いを嘘にしちゃいけない

ということだ。

自分の想いとは裏腹で自分に嘘を吐いたとしても、人への想いまで嘘にしてはいけないのだ。

例え偽善だとしても結果が全てなのだから。

お金で買えない幸せ

お金で買えない幸せって何なんだろうか。

 

愛?地位?名誉?

 

いざ上げてみようと思うと自分がパッと思いつくものはこれしかないのだ。

 

では、逆はどうだろう。

お金で買える幸せとは。

 

食欲、性欲、睡眠欲、趣味、娯楽。

 

なんだって出来る。

食べたいものを食べ、そういう店に行けば性欲も満たせ、お金があるから時間を好きに使えて寝れるだけ寝て、やりたいことをやって。

実に良い事だ。

 

だが、お金で買える幸せがたくさんあるということはお金が無いことによる不幸もたくさんあるということなのだ。

食べたいものも食べれず、そういう店にも行けなければ、余裕がないから相手もいなく、稼ぎに行かなくてはならないから寝る時間も少なく、当然やりたいことをやる時間もなく。

理不尽な世の中だ。

 

だからこそ、金で買えない幸せもあるなんて言葉が蔓延っているのだ。

そこにしか縋ることしか出来ないから。

 

結局世の中金と知恵なのだ。

某マンガでもあった通り。

金と知恵を持ったやつが得をする世の中なのだ。

知恵持たざるもの金持たざる、だ。

金がないとただ嘆くだけならいくらでも出来る。

泣けばいいだけだ、声を上げればいいだけだ。

人間の基本動作に含まれてる。

変わりたいやつは嘆けども行動している。

どうすれば変えられる、どうすればもっと上手く生きられると。

これだって思考するという人間の基本動作だ。

思考して知恵をつけたやつが金を持つんだ。

嘆くだけじゃ何も生まれない。

ただ負の感情だけが湧き上がるだけなのだ。

 

金は人を幸せにも不幸にもさせられる悪魔の通貨だ。

僕はこの人生を通してこの悪魔の通貨を使役する側に回りたい。

そう思いながら日々頭を抱えながら僕は曲をブログを書くんだ。

容姿端麗

僕は有難いことに周りの人からイケメンと呼ばれることが多い。

僕自身イケメンだとは思ってないのだが、確かに整った顔立ちをしているとは思う。

 

しかし、生まれてこの方この顔で生まれて良かったと思うことは1度もない。

強いて良かったことを上げるなら、顔で虐められることがなかったくらいか。

人によってはこれがとてつもなく羨ましく感じるのかもしれない。

だが、僕の意見も聞いて欲しい。

 

https://add9ing.hatenablog.com/entry/2020/12/13/024909

ここで書いているように僕は折り紙付きの社会不適合者だ。

生憎顔が整っているからか女の子と仲良くさせてもらうことが多いのだが、僕の中身を知ってから皆のらりくらり忍び足で後退りしていくのだ。

そりゃそうだ。

社会不適合者でフリーターの21歳なんて近付きたくもないだろう。

 

実は僕は鈍感に見えて意外にもとても敏感で人の気持ちが変わった瞬間がよく分かるのだ。

分かってしまうから辛いのだ。

僕の中身を見て気持ちが変わっていくのがよく分かるから。

しかも、絶世のイケメン!という訳じゃ全くなく割とそこら辺に転がってるからすぐ離れていくのだ。

そりゃ誰しもが良条件良物件に住みたいと思うのは当然だ。

それと同じで僕は捨てられる。

 

長男でもあることから僕は人を甘やかすのが好きなのだが、それを逆手に取られ都合のいい男にされるのだ。

最近も都合のいい男にされてると思って、自ら手を引いた。

手を引けるようになっただけ成長したと思う。

ただ、正直手離したくないくらい可愛かった。

本当に心の底から可愛いと思った。

好きだと思った。

でも、

好きだからこそ分かるのだ。

君に気持ちがない事が。

 

これはきっと容姿端麗が故の悩みなのだろう。

振り回されてばかりの人生ならば、誰か僕の顔をめちゃくちゃにしてくれ。

それが無理なら早く天寿を全うしないものだろうか。

 

なんてね。

睡眠中毒

寝る、という行為がとてつもなく勿体無いと思うのは自分だけだろうか。

 

寝ている間、当然の事ながら何も考えず意識を手放している。

よく死んだように眠ると言うが、寝ている間には生を実感していないから実質''死んでいる''と言っても過言ではないだろうと僕は思う。

 

僕は何かの事に向かって真剣に考えて想像するのが大好きだ。

だからこそ、考えている時こそが自分が''生きている''と実感するのだ。

だが、寝ている間には何をしようとも睡眠に脳が支配され思考が停止してしまう。

そんな時間が勿体無いとは思わないだろうか。

 

曲を作ることもそう、次は何の動画を見ようかもそう。

人は起きている以上常に何かを思考し行動をする。

例えば僕が書いた曲。

一番最初に書いた曲のからっぽという曲は地下鉄を待ってる時に生まれた曲だ。

融けた日々という曲だってそうだ。

当時一緒にいた女の子との何気ない日常を書いただけだ。

一見すると何もない無意義な行為だとしても新たな発見や閃きが生まれる可能性だって0じゃない。

 

だが、人間は寝ずには生きられない。

何より誰しもが眠くなれば寝たいと思う。

なぜなのか。

それはきっと''睡眠''という名の快楽に溺れているからなのではないだろうか。

人々が常識的かつ日常的に繰り返している。

副作用のないドラッグのようなものだ。

ある意味麻薬なんかよりもっとずっとタチが悪い。

 

寝てないことを自慢するやつがいたとしよう。

そんな話を聞いた100人のうち恐らく90人は馬鹿だなと思うだろう。

残りはそいつより寝てないか話を聞いてないやつか心の優しい聖人君子だ。

だが、大半の人は寝てない人を悪だと捉える。

寝るという行為は生を捨て快楽に溺れているだけだというのに。

寝てない人を悪だと捉えるのは人に薬物を勧めるのと同義なのではないだろうか。

少なくとも寝てない人は起きている間思考し何か生み出す可能性が寝ている人よりあったのだ。

寝ている人より生きていたのだ。

死んでいた人間が生きていた人間のことを馬鹿にするのはやめてほしいと思う。

 

とは言っても、もちろん寝なさすぎも効率を下げるだけだからよろしくない。

適当かつ限界まで睡眠時間を減らしていけば何かを生み出す可能性が高まるかもしれない。

 

そう思いつつ僕は今日も眠りにつく。

きっと僕も君たちと同じ睡眠中毒者なのだ。

今年の冬こそ絶対に越せない。

そう言い続けてもう21年が経とうとしている。

早いものだ。

 

21年の時を経て周りがしっかりと前に歩んでいくのを立ち止まりながら背中をいつしか羨望の眼差しで眺めることしか出来なくなってしまった。

歩いていればある程度身体は暖まるのだが、立ち止まったままの僕には周りに比べて何倍もの寒さに凍えているみたいだ。

 

ブログというものを書こうと思うと、どうも悲観的なことしか書けなくて困るな。

でも、せめてここくらいは弱音を吐かせて欲しい。

僕だってこう見えても上手く立ち回って生きているのだ。

面倒ごとを起こしたくないから面倒な立ち回りを心がけている。

本末転倒なような気もするが、小さい頃からこうして生きてきたからやめ方が分からなくなっている。

そんな生き方をしてるうちに弱音の吐き方を忘れてしまったのだ。

言わば、ブログは僕にとってリハビリのようなものなのだ。

 

こんな悲観的で退屈な文章ばかりを恐らくこれからも続けると思うが、読者の方は重く受け止めずまるでムーディー勝山の如く華麗に右から左へ受け流してもらえると助かる。

 

思いの丈がまとまってないのがよく分かる文章だ。

冬のように真っ白の状態に戻してやろうか。

社会不適合者

僕は度々自分のことを社会不適合者だなと思う。

つくづくダメな人間だ、と。

生憎僕はギターがある程度弾けてしまうので、心のもやというかわだかまりだったりを曲に昇華させることが多いのだが、最近はそれすらも面倒だと避けるようになり絶賛何もしないフリーターの社会不適合者を続けている訳だ。

 

もちろんこのままじゃいけないと思っている。

音楽で生活したいという夢がある。

アーティストとしてはもちろん、違った方向で音楽業界にアプローチしていけたらと思っているし構想も割と固まってはいる。

だが、どうしてもその1歩を踏み出す勇気が出ない。

100に立つ自分を妄想するのは得意で100まで辿り着く為の道筋も立てるのだが、今僕は絶賛0で足踏みを続けるどころかムーンウォークでマイナス域まで到達している。

そのたった1の勇気だけが欲しいのにそのたったの1が10万も100万も果てしなく遠く感じる。

 

思い返せば今までの人生、全部そうだったかもしれない。

本当に好きな人への告白だってそうだ。

つい最近だって踏み込むのが怖くて逃げ出したばかり。

大学への進学だってそうだ。

勉強をして歩き続けるのが面倒だと思って逃げ出した。

 

いつもいつも逃げてばかり。

どうも逃げ癖というものが嫌という程身体にこびり付いてどうしたって離れない。

まるで寒い時の布団とこたつのように。

 

上記したように僕は折り紙付きの社会不適合者だ。

いつになればこの負のスパイラルから抜けられるのだろうか。

僕は未だにこのスパイラルに身を委ねることしか出来ないまま、寿命のストックを煙草で減らし只のうのうと日々を生きるのだ。